ジェンダーと税制-所得税の「寡婦控除」を考える-

バングラデシュの課税最低限の性別相違

私は2015年から一橋大学国際・公共政策大学院アジア公共政策プログラムの非常勤講師を務めており、「Tax Policy Ⅰ: Tax Policy and Systems」という授業を担当しています。学生はアジアの開発途上国諸国からの留学生で、その全員が母国の財務省・中央銀行の職員です。授業では学生に母国の税制・税務行政について発表をしてもらい、各国の制度との相違点や課題について討議してもらうのですが、毎回学生間で熱い議論が交わされます。
私の授業で先般、バングラデシュの学生が大変興味深い発表をしました。なんと同国では、所得税の課税最低限が男性(30万タカ)と女性(35万タカ)で異なるというのです。直感的にこのような取り扱いは、「法の下の平等原則」に反するのではないかと思われるのですが、発表した学生によれば、同国では女性の社会進出を積極的に推進しており(首相も女性:シェイク・ハシナ女史)、この課税最低限の男女の区別制度もその一環として取られているものとのことでした。個人的には意外でしたが、発表後の学生間の討論では、同国のこの制度を積極的に評価する意見が大勢でした。

わが国所得税の「寡婦控除」制度


実は、わが国の所得税にも、男性と女性の性別区分が適用要件となっている「寡婦控除」という制度があります。この制度は、もともとは配偶者と死別・離別した一定の所得要件下の者について、女性に適用される「寡婦控除」と男性に適用される「寡夫控除」という2本立ての制度でしたが、同じシングル・ファザーやマザーでも未婚の場合は適用されないことに加え、男性と女性でその控除額が異なる(男性27万円・女性35万円)という問題がありました。

このため、令和2年度の税制改正で、すべてのひとり親家庭に対して公平な税制支援を行うための措置として、あらたに男女の区別を問わず一律35万円を控除できる「ひとり親控除」が創設され、基本的にふたつの制度は統合されました。

ただし、「寡夫控除」は廃止されたものの、子がいなくてもそれ以外の扶養親族がいる場合に所得控除(27万円)を受けられる(ただし死別の場合のみ)という旧寡婦控除制度の固有の取り扱いは残され、現行の「寡婦控除」として存続しています。

寡婦控除制度の違憲裁判

現在よりも男女の取り扱いの区別の差がより顕著であった旧「寡婦(夫)控除」制度ですが、さる5月27日、寡夫控除に設定された寡婦控除にはない所得要件の合憲性を巡って争われた裁判で、東京地裁(清水知恵子裁判長)において興味深い判決が出されました。

この事件は、シングル・ファザーの原告が、寡夫控除(旧所得税法81条:現行法の同条は「ひとり親控除」)を適用して所得税の確定申告をしたところ、所轄税務署長から、同条に定める所得要件(合計所得金額500万円以下)が満たされていないとして控除の適用を否認する更正処分を受けたため、寡婦控除にはない当該所得要件は性別による差別であり、憲法14条1項(法の下の平等)に違反するとして更正処分の取り消しを求めて提訴したものです。
引用:『週刊T&A master』第885号の記事

この原告の主張に対し、裁判所は大要以下のとおり判示し、これを斥けました。
(1) 租税法における性別による取扱いの差異についても、立法府の租税法の定立に関する総合的判断や専門技術的判断による裁量の必要性を尊重し最高裁昭和60年判決(「大島訴訟」同年3月27日大法廷判決)と同様のいわゆる合理性の基準を適用すべきである。
(2) 本件所得要件は、寡夫については妻と死別・離婚後も通常従前の仕事を継続することや高額の収入を得ている者も相当割合に上ることを踏まえ、母子世帯の母親と父子世帯の父親との租税負担能力の差異等に鑑みて設けられたものである。
(3) 扶養親族のある寡婦のうち基準超過層にあるものを控除対象から除外する旨の立法的手当てを行わず、母子世帯と父子世帯の相対的な租税負担能力の差異等を重視した制度を維持することにも、相応の合理性があったということができる。
(4) 基準超過層の母子世帯の母親に係る平均年収が父子世帯の父親のそれを上回ったとする近年の統計や、これを踏まえた令和2年税制改正によって扶養親族のある寡婦につき本件所得要件が設けられたことを考慮しても、同改正前の本件規定における本件区別の態様が立法目的との関係で著しく不合理であったということはできない。

租税法における違憲審査基準―大島訴訟―

本件で東京地裁が判断の根拠とした「大島訴訟」は、所得税法の給与・事業の所得区別の態様の合憲性が争われたもので、最高裁が、立法府による租税法の定立には「合憲性の推定」が働き、租税法上の所得等の取扱いの区別はその立法目的が正当で区別態様が合理的である限り憲法14条1項に違反しないとして、いわゆる「緩やかな基準」による租税立法の違憲審査基準を示した極めて重要かつ著名な事件です。

しかし同最高裁判決では、伊藤正巳裁判官により、「例えば性別のような憲法14条1項後段所定の事由に基づいて差別(筆者注:「区別」ではない)が行われるときには、合憲性の推定は排除され、裁判所は厳格な基準によってその差別が合理的であるかどうかを審査すべきであり、平等原則に反すると判断されることが少なくないと考えられる。性別のような事由による差別の禁止は、民主制の下での本質的な要求であり、租税法もまたそれを無視することは許されないのである。」という補足意見が述べられており(他に2裁判官同調)、この観点からすれば、所得区別ではなく性別区別が争われた本件について、東京地裁が同最高裁判決の法廷意見のみに依拠し「緩やかな基準」でその合憲性を判断してよかったのか、という疑問が生じます。

「寡婦(夫)控除」において、男女の性別で適用要件に差異を設け、その取扱いを区別することの合憲性を「緩やかな基準」で判断することが妥当でないならば、「厳格な基準」を適用して、当該規定を直ちに違憲とするべきでしょうか。この判断もまた、あまりにもドラスティックであり、ことはそれほど単純ではないように思われます。

アファーマティブ・アクション

性別や人種に対する取扱いの区別を「差別」ではなく、「格差の是正」ととらえる考え方があります。米国では他国に先行して、女性や人種的マイノリティなど、主に歴史的経緯により社会的・経済的差別を受け不利益を被ってきた人々に対し、雇用や就学面で特別の機会を提供し、格差を是正して実質的な機会均等を実現しようとする取組が積極的に展開されてきました。このような取組を「アファーマティブ・アクション(affirmative action)」といい、日本語では「積極的格差是正措置」と訳されています。
米国における「法の下の平等」は合衆国憲法修正第14条に規定されていますが、大学入試で不合格となった白人男性が、合格者枠にマイノリティ枠(クォータ)を設けることは違憲として争った1978年のバッキ事件(Regents of the University of California v. Bakke)で連邦最高裁は、「クォータは違憲だがアファーマティブ・アクション自体は合憲」との判断を下しました。格差是正の方法についての合憲性判断はその後変遷していますが、是正措置自体に対する連邦最高裁のこの基本的判断は現在も変わっていません。


わが国におけるアファーマティブ・アクションは主に女性や障がい者を対象とし、特に女性に対しては、1999年に制定された「男女共同参画基本法」に基づく「男女共同参画基本計画」(最新・第5次2020年12月25日閣議決定)で、雇用機会の均等化や指導的地位への昇進推進、労働環境整備を企業や関係機関に働きかけるかたちで進められてきました。しかしながら、国際比較による現在のわが国の男女平等度は、今年3月に世界経済フォーラム(WEF)が公表した「世界ジェンダー・ギャップ報告書(Global Gender Gap Report)2021」で153か国中120位という低評価を付けられているのが現状です。

寡夫控除制度の現代的意義

結局のところ、「寡婦(夫)控除」も、単なる男女差別ではなく男女格差是正のための税制上の措置の一環ととらえるのであれば、その合憲性も「緩やかな基準」の延長線上で、あくまでもその取扱いの区別の程度に基づき判断されることになるのではないでしょうか。
令和2年度の税制改正においても残された「寡婦控除」は、今後、わが国の男女格差是正措置の達成成果のバロメーターとしての役割を担いつつ存続していくのかもしれません。

石黒 秀明

石黒 秀明

石黒秀明国際租税研究室 室長

国税調査官として国税庁・国税局を中心に23年間国税の職場を経験、加えて4年間の財務省勤務経験。
大学院教員、租税法学者として租税法の教育・研究活動に従事。
国際協力機構(JICA)技術協力プロジェクトの税務専門家としてモンゴルなど開発途上国5か国の税務行政能力の向上に貢献。
税理士、支部税務支援対策部委員として納税者の適正申告をサポート、困難な税務調査事案への対応で経験・知見を活かした交渉力の行使により早期の調査終了、納税者の安心回復を実現。

自らの知識と経験を活かした教育・支援活動により理想的な租税社会を構築していきたいとの想いから、「公益」と「啓蒙」を自己の活動理念とし、グローバルな租税正義の実現の一助となるべく多分野において日々奮闘している。
趣味はゴスペルとエアロビクス。

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