はじめに
法人税法および同施行令において、損金不算入とされる「不相当に高額な部分の金額」は、その内国法人のいくつかの検討要素に照らして判断することになっていますが、課税当局による本規定に基づく更正処分は、基本的に「他の同種事業・規模類似法人の役員給与の支給状況」との比較(以下、「同業種・類似規模法人比較基準」省略して「類似法人比較基準」という。)によって行われるため、税務訴訟ではそのアプローチの妥当性が争われることが多いのが実情です。しかし、課税処分においても税務訴訟においても科学的根拠に基づかない「摩訶不思議な」議論が続けられてきた、というのが私の率直な感想です。
「散らばり(=分散)」の重要性
データの集まりを簡潔に要約し、その特性を把握するために用いられる統計的指標を「基本統計量」といいますが、その中心となるファクターは「平均値」と「分散」です。分散とは個々のデータと平均値との差である「偏差」の2乗値で、さらに「標準偏差」とはその平方根の値をいいます。この分散を語らずして、データの特性を語ることはできないのです。
ある現象において取りえるさまざまな値(確率変数=横軸)に対して、その値をとる確率(確率密度=縦軸)の分布を表現するものとして「確率分布」がありますが、自然界や社会・人間の行動等で観察される様々な現象・事象には、平均値を頂点とした釣り鐘型の形状をもつ「正規分布(normal distribution)」がよく当てはまることが知られています。そして、ある確率変数Xが正規分布に従うとき、その変数xは平均・分散(標準偏差σ)の値に関係なく、平均値±1σの範囲内に全体の約68%、±2σの範囲内に同約95%、±3σの範囲内に同約99.7%が収まるという極めて重要な特性をもちます。
「残波事件」で解決されなかった問題
近年のいわゆる「残波事件」(東京地裁平成28年4月22日、東京高裁平成29年2月23日判決)では、課税庁の採用した類似法人の抽出方法を合理的と認めたうえで、抽出他社の役員報酬の「最高額」を上回る部分が不相当に高額な部分に該当すると判示しました。実はこの判決まで、適正役員給与額は「平均額」と判断されてきており、この裁判所の判断は合理的なものとして広く評価されたのですが、私はこれに異を唱えました(日本税理士会連合会会報『税理士界』2021年2月15日号 p.15)。
上で述べた統計学の知見に基づけば、「類似法人比較基準」においては本来、①抽出されたデータの分布を観察し(一般に正規分布になることが想定される)、②標準偏差を基にx軸の平均から右側で「相当」・「不相当」の閾値=判断基準値を設定し(例えば1σなのか、2σなのか、さらには3σなのか)、③当該基準値に照らして適正役員給与額および不相当に高額な部分を決定する、という判断プロセスが必要なはずなのです。このプロセスを経ず、データの分布状況を検証しないまま「平均値」はもとより「最高値」を適正役員給与額算定の基準とすることも妥当ではありません。「最高値」が上記②の基準値の内側に位置した場合に不相当な金額が過大に算定され、納税者に不利な値が導出される可能性、つまりは納税者の権利が侵害される可能性があるからです。
「京醍醐味噌事件」判決のフシギ
さらに、近年控訴審判決が出された「京醍醐味噌事件」(東京地裁令和3年5月23日:棄却、東京高裁令和6年1月18日判決:棄却)では、課税庁によってフシギな適正役員給与額の算定方法が繰り出され、裁判所もこれを支持しました。
課税庁は、調査対象となった各事業年度(平成25年9月期から同28年9月期)につき8社~9社の比較対象類似法人を抽出したうえで、以下の計算式を用いて適正役員給与額を算出しました(便宜的に「類似法人3要素比率基準」、略して「3要素比率基準」と言います)。
<適正役員給与額の計算式(3要素比率基準)>
適正役員給与額 = A × ( b / B + c / C + d / D) × 1 / 3
A:類似法人の役員給与最高額の平均額、B:類似法人の平均売上高
C:類似法人の平均改定営業利益、D:類似法人の平均個人換算所得
b :Xの売上高、c :Xの改定営業利益、d :Xの個人換算所得
(注1)改定営業利益 = 営業利益 + 役員給与支給額
(注2)個人換算所得 = 法人税申告所得額(繰越欠損金控除前の額)+ 役員給与支給額+ 役員に対する賃借料等の支払金額および役員に係る借入金利子の額の合計額”
この算定方式には、算定要素およびその重みづけの科学的根拠が不明(特に「個人換算所得」という個人化体所得は適正法人所得の判断要素になりえない)という根本的な問題がありますが、なによりも異常なのは結果として算出されたその金額です。調査対象最終期の平成28年9月期を取り上げてみると、課税庁が収集した比較対象類似法人の役員給与額データの最高額が9,360千円、平均額が8,446千円であったのに対し、課税庁が上記基準を用いて算定した適正役員給与額は158,669千円と、それそれ約17~19倍の階差が生じています(金額は千円未満四捨五入)。
裁判所は、課税庁が採用したこの3要素比率基準を、原告法人と類似法人との間に存する「偏差」を調整するために合理的なものと判断しましたが、実際は課税庁自らが収集したデータから推定される分布あるいは「散らばり」を考慮せず、その極限値からはるかに外側の地点、いわば異次元の地点に役員給与適正額があると認定するもので、全く合理的なものとは言えません。
課税庁が残波事件で採用された「最高額」基準ではなく、なぜ納税者が絶対的有利になるこのような前例のない調整計算をしたのかが不明ですが、処分後の税務訴訟を想定した場合、最高額基準を採用すると否認額があまりに高額となることから、慎重な対応をしたのかもしれません。(この議論の詳細な内容を知りたい方は、月刊『税理』2024年11月号pp.130-142に掲載された拙稿をご一読ください。)
おわりに
適正役員給与額をめぐる裁判で、これまで「分散」が議論されたことはありません。基本統計量の一大ファクターであるにもかかわらずです。これはうがった見方をすれば、課税庁も裁判所も統計学の知見が決定的に不足しているからと思わざるを得ません。
私たち租税法学者は、納税者の権利の保護は当然ですが、適切かつ公平な課税を担保するために、単に納税者の有利・不利に拘泥することなく、科学的根拠に基づかない課税処分とそれに続く課税実務の浸透は絶対に許さないという姿勢で啓蒙活動をしていかなければならないでしょう。