最高裁上告事件始末記-高松外れ馬券訴訟-

1. はじめに

今から1年半余り前の2020年11月、高松のある弁護士から突然私に連絡が入りました。要件は、自分が訴訟代理人を務める税務訴訟事件(以後「高松事件」とします)で、このたび最高裁に上告をすることにしたので、ぜひ力を貸してほしいというものでした。

最高裁への上告は、正確には、原判決について憲法違反や法律に定められた重大な訴訟手続の違反事由が存在することを理由とする「上告提起」(「上告状」を提出)と、原判決について判例違反その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むことを理由とする「上告受理申立」(「上告受理申立書」を提出)があります。

本事件では原告納税者によりその両方がなされましたが、今回のコラムは私が鑑定意見書を書くことになった後者の顛末についてお話ししたいと思います

2. 事件の概要

事件は、競馬で長期間にわたり予想ソフトを利用して稼得した勝馬投票券の払戻金に係る所得が、

①一時所得になるのか雑所得になるのか
②購入した勝馬投票券の外れ馬券を必要経費に算入できるか

を争点とするもので、この種のいわゆる「外れ馬券訴訟」事件では過去に、納税者の得た所得が「営利を目的とする継続的行為から生じた所得」であるとして一時所得ではなく雑所得と判断し、外れ馬券の必要経費算入を認めた最高裁判決が立て続けに2件出されていました(最高裁平成27年3月10日第三小法廷判決、同平成29年12月15日第二小法廷判決。以後それぞれ「大阪事件」、「札幌事件」とします)。

これら大阪・札幌の両事件と高松事件の事実関係の大きな相違点は、前者ではいずれの係争年度も納税者が100%を超える回収率を達成していたのに対し、後者では3年の係争年度のうち初年度(平成24年)のみ回収率が86.4%にとどまった、つまり損失を出していたことにあり、これを裁判所がどう判断するかが本事件の最大の焦点であったと言えます。

この点第一審(東京地裁令和元年10月30日判決)は、「平成24年に790万円の損失が生じているものの、中央競馬の同事業年度の払戻率約75%を相当程度超える86.4%の回収率を維持している」として馬券の購入に独自のノウハウの行使を認め納税者を勝訴させましたが、控訴審(東京高裁令和2年11月4日判決)は、「営利性の観点から損失年度の損失及びその額は否定的な事情であり、多額の損失の発生は偶然性の影響が減殺されていないことを推認させる」という第一審とは全く逆の判断をして納税者を敗訴させました。

私は本事件第一審の後、地裁が中央競馬の払戻率約75%という統計学の「大数の法則」による「収束すべき真の期待値」と納税者の達成した回収率との比較で独自のノウハウを認める判断をしたことを、画期的かつ科学的・合理的な判断であると評価する評釈を税務雑誌に投稿していましたが(『税理』2020年4月号・173-185頁)、冒頭のI弁護士は控訴審敗訴の後これを読んで、本事件の上告に当たり私に支援を求めてきてくださったのです。私はこれを受け、上告受理申立理由書に添付する鑑定意見書を執筆することとしました。

3. 鑑定意見書の執筆

上告受理申立のためには上記申立書とともに「上告受理申立理由書」(以下「理由書」)を提出する必要がありますが、事件を事実と法律の両面から審理する(事実審)第一審・控訴審と異なり、事件を法律面からのみ審理する(法律審)上告審での審理は「書面審理」が中心となり、「口頭弁論」が開かれることは極めてまれであることから、最高裁に上告事件として受理してもらうためには、理由書において的確かつ説得的な理由を記載することが重要です。

この極めて重要な書類である理由書の作成に当たり、弁護士と私の間で高裁判断に対する反論方針は当初から一致していました。それは、「多額の損失の発生は偶然性の影響が減殺されていないことを推認させる」という判示に対し、納税者の稼得した所得は偶然性の影響が排除された馬券購買行動の結果であるという反証を行うことでした。

私はこの方針のもとで、地裁が納税者勝訴の根拠とした「中央競馬の同事業年度の払戻率約75%を相当程度超える86.4%の回収率を維持していた」事実を科学的に意味づけるため、鑑定意見書において、納税者の達成した係争年度を含む全8年間の回収率に対して、統計学の仮説検定手法である「t 検定」を行い、その分析結果から、納税者の稼得所得が偶然性により生じたものではないことを証明しました。この意見書の執筆にあたっては、弁護士のリクエストにより、統計学に馴染みのない裁判官にもわかりやすいように記述することを心掛けました。

さて、2021年1月初旬に弁護士によって理由書が提出された後、私たちはどう日々を過ごすことになったでしょうか。

最高裁の公表している最新のデータによれば、2020(令和2)年の行政訴訟における上告受理申立事件の終局事件数は376件、そのうち不受理決定は360件で、実に約95%が「門前払い」となっています。また、不受理決定の平均審理期間は4.2ヵ月であり、147件(40.8%)が3カ月以内に、また149件(41.4%)が3カ月超6カ月以内にその決定を受けています。つまり、上告として受理されること自体が超狭き門であり、不受理決定も比較的短期間の審理を経て出されていることがわかります。

これらの事象が例年の傾向であることから、弁護士と私は、「便りのないのはよい便り」・「果報は寝て待て」とばかり、最高裁の決定通知を「まだ来ないでくれ、まだ来ないでくれ」と願う日々を過ごすことになりました。

4. 不受理決定

上告受理申立理由書は高裁の形式的な書面審査を経て最高裁に送付されますので、2021年1月初旬に理由書が提出された本事件の場合、最高裁で審理が始まったのは同年2月からと推測されます。最高裁からの通知なく審理期間が6カ月を超え、「これはもしかすると勝てるかもしれない」という私たちの期待が徐々に高まっていた矢先の同年10月、弁護士から「残念ながら不受理決定通知が届きました」という連絡を受けて、その期待は淡くも夢と消えました。

上告受理申立制度は増大する上告事件から最高裁の過大な事務負担を軽減するために2012年1月1日施行の改正民事訴訟法で導入されたもので、申立事件を受理するかどうかはその裁量に委ねられることになりました。そして不受理決定の場合その具体的な理由は一切明らかにされません。そこで、本事件がなぜ不受理となったのか、私なりにその理由を考えることとしました。

ここに藤田宙靖『最高裁回想録-学者判事の七年半-』(有斐閣、2012年)という最高裁審理の内情を記した非常に参考になる文献があります。学者出身で最高裁判事を務めた著者によれば、不受理等の決定処理をする理由として

①ほぼ同一の内容の訴訟を複数の原告が起こしている、
②すでに最高裁の判例が確定していてそれを現段階で変更する必要はないと判断される、といった「形式的判断」を理由とする場合と、
③理論的には確かに重要な法解釈上の問題を含むが、紛争の実質に照らして最高裁がここで理論的な決着を着けることが合理的か、といった「実質的判断」を理由とする場合があるとされています。

そして、③の具体的事例として、先例もなければ学説等での議論もほとんどなされていない全く新しいタイプの紛争で、今後この種の問題がどう展開していくか現状では見通しがつけがたいケースでは、最高裁の判例がその後独り歩きを始め、思いがけない結果をもたらす可能性があることから、もう少し類似の事案に対する下級審の判断や学説等の積み重ねを待った上で、しかるべき時まで判断を控える方が合理的ということになる例がある、とされています。

私はここで、統計学という全く新しい手法で高裁判断への反証を試みた本事件はこの③のケースに当たるのではないか、と思うに至りました。そうであるならば、下級審でこの手法により主張を展開していたら、結果は全く違っていたものになっていたかもしれません。(ちなみに不受理決定に既判力はない=判例ではない、とされています。)

5. おわりに

今回の上告は残念な結果に終わりましたが、私は今回の経験を活かしつつ、今後、外れ馬券訴訟事件に限らず様々な税務訴訟事件において、統計学の活用可能性を探りながら、科学的根拠に基づく事実判断のあるべき姿を納税者・課税庁・裁判所に発信・啓蒙していきたいと考えています。

そして、微力ながら、租税法学者兼税理士として、新たな税務実務形成の一翼を担っていければ、これ以上の喜びはないでしょう。

石黒 秀明

石黒 秀明

石黒秀明国際租税研究室 室長

国税調査官として国税庁・国税局を中心に23年間国税の職場を経験、加えて4年間の財務省勤務経験。
大学院教員、租税法学者として租税法の教育・研究活動に従事。
国際協力機構(JICA)技術協力プロジェクトの税務専門家としてモンゴルなど開発途上国5か国の税務行政能力の向上に貢献。
税理士、支部税務支援対策部委員として納税者の適正申告をサポート、困難な税務調査事案への対応で経験・知見を活かした交渉力の行使により早期の調査終了、納税者の安心回復を実現。

自らの知識と経験を活かした教育・支援活動により理想的な租税社会を構築していきたいとの想いから、「公益」と「啓蒙」を自己の活動理念とし、グローバルな租税正義の実現の一助となるべく多分野において日々奮闘している。
趣味はゴスペルとエアロビクス。

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