1. はじめに
「正義」という言葉をきくと、みなさんどういうイメージをもたれるでしょうか?映画やテレビで見るスーパーヒーローによる勧善懲悪行為をイメージされるかもしれません。しかし、法との関連で議論される正義は、その意味が若干異なります。今回のコラムでは、租税法を学習する方の一助になるよう、「租税正義」について少しお話してみたいと思います。「法の目的は正義の実現にある」とも言われ、「租税正義」の理解は租税法の目的を理解するのに役立つと思うからです。
2. ロールズの正義論
法と正義の関係の哲学的探求は古代ギリシャ時代に遡りますが、19世紀以降は、近代的な「法実証主義」(単純化して言えば、「悪法は法ならず」という考え方を否定し、「悪法も法なり」という考え方を基底として法をとらえる立場)精神の高まりのもと、正義の価値は絶対的・客観的に規定できず、個人によって相対的である、という「価値相対主義」が普及していました。そして、ベンサム(J.Bentham)が提唱した「法は、人々の快楽の最大化・苦痛の最小化をその目的としなければならない」という「功利主義(Utilitarianism)」の考え方が英米では法思想的に支配的になっていました。
この風潮に「待った」をかけ、実質的正義に関する規範的議論を喚起したのが、『正義論(A Theory of Justice)』(1971)で「公正としての正義(justice as fairness)」観を提唱したロールズ(J.Rawls)でした。
彼は正義を、秩序ある公正な社会における人々の社会的協働を可能にする、協働の利益の分配の方法についての公正な基本ルールと考えました。そして、市民の仮想的な代表者たちが集う「原初状態(original position)」という架空の状況を設定し、彼らにそこでの社会契約としての正義の原理の導出の役目を担わせました。
その代表者たちは、性別、年齢、出自、宗教、能力、財産といった個別的な利害と資源の情報を「無知のヴェール(veil of ignorance)」で隠されます。そして彼らは、自分が何者かわからない状態で、そのヴェールがはがされたときに最悪の状況に置かれないようにするという行動原理で社会契約を締結します。
ロールズはこの実験によって、公平で普遍的な次の2つの正義の原理が導出されるとしました。
第1原理
政治・言論・身体などの基本的自由が、全員に平等に配分されること
第2原理
社会的・経済的不平等の許容条件は、
(a) 平等な機会のもとでの公正な競争の結果生じたものに限られること(機会均等原理)
(b) 社会で最も不遇な人びとの境遇を最大限改善するものであること(格差原理)
ロールズの理論にはその後さまざまな批判がなされますが、法ないし社会的規範の目的価値としての正義を積極的に定義づけようとした試みは、それまでの「価値相対主義」や「功利主義」へのアンチ・テーゼとして、大きな意義を有するものでした。
3. おもな正義観念
先に述べたように、古代ギリシャ以来、正義は法の一般的目的として法と不可分の関係ととらえられ、法の価値・理念・理想の名のもとに論じられてきました。今回は以下、おもな正義概念についてみてみます。
(1) 適法的正義
実定法の内容自体の正・不正を問うことなく、もっぱらその規定するところが忠実に遵守され適用されているか否かだけを問題とする正義概念です。それゆえに「法的安定性」という法的価値と同一視されますが、それは政治社会の堅固な存立や経済の円滑な作動にとって不可欠な基底的価値ということができるでしょう。
(2)形式的正義
「等しきものは等しく、等しからざるものは等しからざるように取り扱え」という古くからの定式によって表現される純形式的要請のことです。この定式自体は内容の具体性を欠き、不完全で決定的な指針を与えるものではありませんが、具体的原理に共通する要素として正義概念の中枢的・恒久的・普遍的要素とみられ
具体的正義とも呼ばれ、実定法の一定の内容や判決などの具体的な法的決定の正当性を評価・判定する実質的な価値基準のことで、社会成員間の利益と負担の割当に関する「配分的正義」(公法の正義)と、並列個人間の利得と損失の調整に関する「交換的(矯正的)正義」(私法の正義)に区分されます。前者では「各人の○○に応じて」が一般的な定式となり、租税法では一般に「各人の担税力に応じて」負担を配分することになります。
(4) 手続的正義
実質的正義が決定の結果の内容的正当性を要請するのに対し、手続的正義は決定に至るまでの手続過程で、その決定に関わる利害関係者の各要求に対して公正な手続に則って公平な配慮をはらうことを要請するものです。一定のルールや手続に準拠した活動がおこなわれているかぎり、その個々の結果の正・不正はもはや問題にされません。原初状態という仮想の世界でロールズが導出した正義原理も、基本的にはこのカテゴリーに属する正義ということができるでしょう。
(5) 衡平
判例法諸国にみられる法理で、上記の「一般的正義」に対する「個別的正義」とも呼ばれ、実定法の一般的な準則をそのまま個別的事例に適用すると実質的正義の観点からみて著しく不合理な結果が生じる場合に、その法的準則の適用を制限ないし抑制するはたらきをするもので、法的安定性の犠牲において具体的妥当性を確保するものです。
4. 租税と正義
これまで、法は「正義」概念と密接不可分の関係にあるとお話ししてきました。そうすると、わが国の最高規範(租税法の上位規範)はいうまでもなく日本国憲法ですので、憲法が掲げる諸原則に国家としてわが国が実現しようとする何らかの正義概念を見て取れるはずです。
たとえば、「国民主権」は手続的正義実現の保証であり、「基本的人権の尊重」は、それがもつ自由主義・平等主義・福祉主義といった理念がロールズの導出した正義原理と符号することを考えると、その手続的正義の実現形ととらえることができるでしょう。(ただし、憲法に対するこのようなアプローチはある意味異端で、その原則のもつ法価値は、人間が本来持つ自然法的価値ととらえるのが一般的なようです。)
租税法の二大原則は「租税法律主義」と「租税公平主義」とされますが、3.で述べたカテゴリーに則れば、「租税法律主義」が実現する正義は「適法的正義」、「租税公平主義」のそれは実質的正義のうちの「配分的正義」(各人の「担税力」に応じて負担を配分する)ととらえることができます。しかしながら、この後者の実現に際し、租税法は財産権(29条)をはじめ、平等権(14条)などさまざまな基本的人権を侵害する可能性がありますし、そもそも「担税力」をどうとらえるのか、という根本的な問題に直面します。
これらの諸問題に対して、最高裁は著名な「大島訴訟」で、「租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を必要とする立法府の政策的、技術的な判断に委ねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ない」と判示(昭和63年3月27日)、租税法には合憲性の推定が働くという一定の結論を出しました。
租税正義の文脈でこれを解すれば、基本的人権の制約の下で、(租税のもつ今日の多様な機能に鑑みつつ)租税法の実現しようとする配分的正義を積極的に定義づけることは困難なので、租税法が国会での審議・成立という手続的正義に適うかぎりにおいて、そこで導出された結果に一応、その正義の実現を認める、ということと考えます。
顧みればわが国の税制は「公平・中立・簡素」の三大原則をもとにデザインされることになっており、これらを租税法の法価値とみることもできますが、租税特別措置法によって実施される制度はこのいずれにも抵触しているといえる一方で、手続的正義の意義に則ればそこに「租税正義」が実現されているとみることができます。かくなる意味で、その積極的定義は必ずしも容易ではない、と言わざるをえません。
5. おわりに
さて、みなさんいかがだったでしょうか。「正義」なんて抽象的な概念を議論して意味があるのか、と思われたかもしれません。しかし「正義」や「租税正義」を考えることは、みなさんが学生あるいは職業会計人として学問や実務に向き合う際の自分自身の「ものさし」をもつことであり、法的思考の基盤づくりをすることでもあります。ここで議論したことは基本的に「法哲学」と呼ばれる学術分野に属するものですが、ぜひみなさんには入門書で結構ですので、この分野の書籍のご一読をお勧めしたいと思います。